「コスパ」「タイパ」を叫ぶ若者が絶対に勝てない理由。【斉藤啓】
どーしたって装丁GUY 第6回
■タイム・イズ・オン・マイ・サイド

ところで、このブースのデザイン作業に費やした時間は10日間。そのすべてを徹夜で乗り切ったことは、前回コラムでも記しました。
19歳とゆう若さゆえに可能だった無謀、と思いますし、とにもかくにも必死であり、夢中でした。このデビュー戦以降、ワーク・ライフ・バランスが極端に狂った広告業界で、デザイナー人生を歩むことになるのですが、しかし、これよりキツいと感じた仕事はいままで一度もありません。いっとう最初に、もっとも過酷な仕事を体験したことが、その後を相対的にラクなものにしてくれた。
本来こう使うべき言葉じゃないのだろうけど『時間は味方だった』。この10日間が、ぼくに仕事の基礎をたたき込んでくれた。その基礎とは、テクニックのことじゃありません。正解のない中ででも、クリエイティブを決して手放さない執念みたいな何か。
デザインと呼ぶにはまだまだ不完全な方位磁針だけを頼りに、「仕事って、いったい何のためにやるんだっけ?」と問いながら、その解を必死で探し続けた240時間の大冒険。これを単なる『労働時間』や『就業時間』といった言葉には置き換えられない、ぼくにとって特別な意味をもつ体験だったのです。
いま、2025年の視点から見たならば、
「老害バブルオヤジの徹夜自慢」
「徹夜自慢は無能自慢」
「それ、仕事効率が悪いだけですから」
「やりがい搾取されてる自覚ないんですね?」
と、冷笑され、言い叩かれ、まるで懸命に働くことが悪かのごとく、即『ブラック』とのレッテルを貼られるのかもしれませんね。
9時5時の定時であがるのも結構。残業オーライでも残業拒否でも、その人の生き方次第。自由な選択に任せるべき。プライベートの自分時間、休日のレジャー、家族や仲間との語らいもホントに大切。ぼく自身、仕事仲間が、ある日突然亡くなってしまうことを何度も経験し、悲しい思いもしてきました。
そのうえで、目先のコスパやタイパなるものを重視し、常に効率的な仕事法を選ぶのもひとつの手でしょう。
しかしそのやり方では、自分の「好き」を信じ、寝食を忘れるほど夢中に打ち込んでる人には、どうやったって勝てない。これも現実なんです。
絵と文:斉藤啓
